山のすすめ③

長々と高尾山での出来事を事細かに書いてしまったが、この日を境に不安神経症の症状が結構良くなった感じがした。


今振り返ると、高尾山に登ったことで何が不安神経症に対してよかったかと言うと、


「不安だったけど、登れた」


ということを経験できたことだと思う。


登る前は調べると滑落の記事とか出てきて怖くなったし、経験がないからただ漠然と怖かった。でも実際行ってみると危ない箇所も確かにあるけど、注意すれば大丈夫だった。

何しろ幼稚園生とかが普通に遠足で登るくらいなのだから。

また、元々完璧主義で人の目をかなり気にするタイプなのだが、この時ばかりは他の人にどんどん抜かされようが装備は完全に素人だろうが、そんなことはどうでもよく感じた。

そういう細かいことは気にせず、ただひたすら頂上を目指すということが本当に不安神経症に効いたと思う。


そして、頂上に到達することは当然一つの目標を達成することになるので自己肯定感に繋がる。


何と言っても自然に囲まれた中で身体を動かし、汗を掻いて疲れることはとても清々しく、1回登って帰ってくるとすごくリフレッシュした気分になれる。

下山後に温泉に入るのもセットにするとなお最高だ。


まだまだ初心者ではあるが、その後月2くらいのペースで色んな山に行き、数ヶ月で片道2時間以上かかる1200m級の山にも登ることができ、少しずつ知識や筋力も付いてきていることを実感できている。

よくある話かもしれないが、階段の登り降りが全然きつく感じなくなった。


現在はコロナの影響で自粛中だが、落ち着いたらまた高尾山からスタートし、徐々にステップアップして富士山登頂を目指すと決めている。




山のすすめ②

①からの続き…


腹ごしらえを済まし、また頂上の方へ戻り、帰りはどのルートで行くか特に考えていなかったので、看板の地図を見てみることにした。

すると、看板の図ではこの絵の感じだと10分か15分くらいの距離に蛇滝という滝があることを知る。

「よし、この滝を見てからまたここに戻ってきて、その後はケーブルカーに乗って下山しよう」

そう決めたのが完全に間違いだった…笑


案内の通りに蛇滝コースという登山道に入る。

進んで行くと、水の音はするけどどうも思っていたより滝まで遠い感じがした。

さらに自分以外に登山客は全然おらず、登山道もさっきより狭く、険しかった。

イメージしていた10分、15分ほど進んでも滝は見当たらず、このまま引き返すのもあれだしと思ってとにかく進むことにした。


※今思うと単独行で装備不十分の超初心者が下したこの判断は、遭難に繋がりかねない相当危険な判断だとわかるし、今なら絶対しない決断だ。


どんどん降りて行くと少しずつ水の音が大きくなってきて、数人の登山客ともすれ違ったので少し安心感が出てきた。

さらに進んで行くとかなり水の音が大きくなり、何やら声が聞こえてきた。

御堂のようなところがあり、そちらの奥の方から念仏を唱える声が聞こえて来る。

滝行をしている声だ。しかし、肝心の滝が見えない。そちらの方に行くには門を通らなければいけないが、閉ざされていていけないのだ。

どうやら滝行をする人しか滝を見ることはできないらしい。

がっかりした気持ちで立ち去るともうほぼ山の麓まで来ていた。


山から抜けると周りには何もなく、小さな老人ホームらしき施設があり、その近くを散歩していた高齢者の男の人に突然「良い靴履いてんなぁ」と言われたので、怖くなって逃げた笑

幸いなことに調べるとすぐ近くにバス停があるようなので、そこまで行ってバスが来るのを待った。

20分くらい待つとようやくバスが来たが、中は人がいっぱい乗っていて、「満員でご乗車できませんので次のバスをご利用ください」と言われ、止まることもなくバスは行ってしまった。

自分しかバス停から乗る乗客はいないにも関わらずだ。

詰めてもらってどうにか乗ることはできなかったのかと思う。

調べると次のバスまでは30分くらいあり、また次のバスも乗れなかったら最悪なので、疲れていたが歩いて高尾駅まで向かった。

そしていつも行く日帰り温泉施設まで電車移動し、疲れを癒すことにした。

肝心の滝は見れず、バスには乗れないし帰りは散々だった笑


③に続く…

山のすすめ①

2019年7月に不安神経症の強い発作が再発する少し前、5月末に高尾山に登ったのをきっかけに、1度症状がかなり良くなった。その時の体験を書いておこうと思う。


昨年の5月末、五月晴れでとても空と緑が綺麗に感じた。

その瞬間にふと、「そうだ!今まで1回も行ったことなかった高尾山に行ってみようかな?」という気になり、色々調べてみることにした。


高尾山はとにかく登山客が多く、初心者向けの山ということは知っていた。

調べてみると、アスファルトで舗装された1号路というルート以外にもいくつものルートがあり、中には滝や吊り橋が見れるルートもあるとのこと。 

滝を見るのが好きな僕はとてもワクワクし、さらに準備品について調べてみた。

とにかく登山といえば地元の300mくらいの舗装された山しか登ったことがなかったため、それ以外の登山道については全くもって未知だった。

調べていくと高尾山でも遭難や滑落事故はあるらしく、とても怖くなった。

さらに一緒に行く人もおらず、不安神経症も相まってとにかく不安でしょうがなかったが、現在できる最大限の準備をし、ある程度見切り発車でいいから行ってみることにした。


高尾山の登山口のある高尾山口の駅には、新宿からだと電車で45分ほどで到着する。

駅に着くと、思っていたより綺麗で驚いた。

そして登山道へ向かう道中には色んなお店があり、ちょっとした観光気分を味わうことができる。

10分ほど歩くとケーブルカーの駅に到着したが、ケーブルカーには乗らず、先程話した1号路という舗装された道を登っていくことにした。

自分以外に来ている人達は中国人や白人等、外国人観光客だらけだ。

登り始めるとものの10分ほどで息切れしてしまい、脚も疲れてしまった。

こんなに山登りってきついんだと実感する。

傾斜もきつく、軽装備の外人にどんどん抜かされていく。

ヒーヒー言いながら40分ほど登ると、中間地点的なちょっとしたお店がある所に到着し、名物の天狗焼きという人形焼のようなお菓子を買い、少し休憩した。


そしてこの辺りから1・3・4とコースを選んで行くことができる。

予め調べておいた吊り橋のあるという4号路へ向かうことにした。

4号路は1号路とは打って変わって、森の中を登っていくような感じで、登山道も狭く、人2人分くらいの道を進んで行く。

道の片側は崖側になっていて、よそ見でもして1歩踏み外しでもしたら即滑落というような道で、とても危険を感じた。

でも、大きな木の根がうねうね出ている道や、何より木々に囲まれた中を進んで行くのが楽しく、1号路よりきつく感じなかった。

吊り橋は思っていたより怖くなかった。

そして45分程で頂上に到着!

ここで写真でも撮ってお昼ご飯!と言いたいところだが、頂上からさらに10分ほど歩くともみじ台という場所があり、そこにある茶屋でとろろそばを頼んで食べることにした。

外で食べる蕎麦はとてもおいしく、何よりこんな山の上にお店があり、食事が出てくるということにありがたみを感じた。


②に続く…

森田療法初心者懇談会

初回のカウンセリングを受けてから森田療法の自助会について調べ、初心者懇談会というのがあることを知り、直近の開催日に参加してみようと思った。

この頃は強烈な孤独感に毎日襲われており、とにかく人と接したいと本能ながらに思っていて、常に胸が張り裂けてしまいそうな感覚だった。


不安と緊張に襲われながらも、藁にもすがるような思いで会場に向かった。カウンセリングから3日後のことである。

到着すると既に何人か人がおり、そして動悸がしてきてしまったが、これは初めて来る場所にいるんだから、緊張によるものなんだと自分に言い聞かせた。


時間になると司会者の方が場を進めていく。

司会者は3人いて、どの方も自助グループの会員とのこと。

参加者は僕以外に4人で、30代が1人、40代が2人、70代が1人だった。


初めに司会者の方が自分の生い立ちや症状について、森田療法と出会ってどうなったかといった話をしていく。

その後、参加者がそれぞれ自己紹介をし、自分の症状や悩みを話していく。


本当に症状は人それぞれで、うつ病、吃音障害、同性愛恐怖等様々だった。

そして自分が話す番になって自分のことを話し始めると、泣きそうになった。

でも、自分のことをある程度赤裸々に他人に話すことは初めてで、話し終えるとどこかすっきりした気分になったのも確かだった。


ちなみに司会者の方達から軽いアドバイス森田療法の本を読んでみたり、別の自助会に参加してみるよう促されはするものの、これといった具体的なものはない。

何しろ司会者の方達は心理カウンセラー等の資格を持っているわけではなく、森田療法によって自分の症状が改善した経験があるというだけなのである。


だが、実は初心者懇談会の数時間の中で、回復の小さな一歩になったことがたくさんある。

それは、

・不安だけど未知のことに挑戦(体験)してみること

・悩んでいるのは自分だけじゃないという

ことを知ること

・人と話すこと

・自分をさらけ出すこと

・本やネットでしかわからなかった、森田療法を体験して改善した方達の生の声を直接聞けたこと

である。


特にこの不安や症状が気になりながらも「初心者懇談会に参加してみた」ということ、そのひとつの新しい体験自体が、森田療法でいう「恐怖突入」を経験して乗り越えたことに

なり、実感はなくても良い経験値を積んだことになって、回復への大きな一歩となったのである。


ちなみにこの日参加しての感想をメモしていたので、そっくりそのまま載せることにします。


・とにかく100%治そうとしないこと

・失敗してもいいから、うまくできなくてもいいからとりあえずやってみる。そうしていくうちにある日気付いたら「あ、そういえば最近症状気にならないな」くらいの感覚になる。

・完治はしない

・症状の波がきてもそれにとらわれず、受け止めてやるべきことをやれるようになるのがゴール

・ま、いっか、やらなくてもいっかとか完璧さを捨てること

・症状が出ることは悪いことだと思っていたがそうじゃない

・昨日より少し前進した、その積み重ね

恐怖突入

森田療法について調べていると必ず出てくるワードであり、僕にとっては回復する上でかなり重要になったことの一つでもあります。


簡単に説明すると、普段怖くて避けてしまっていることに対して、やってみてしまうということです。

パニック障害の症状を例に挙げると、電車などに乗っている時に、「発作が起こったらどうしよう?」「発作が起こってしまうのではないか?」という予期不安から電車に乗れなくなってしまうといった例があると思います。


でも、怖いけど、発作が起こってしまうかもしれないって考えてしまうけど、勇気を出して乗ってみる。


すると、実際に乗ってみたら意外と大丈夫だ

った。

そんな体験を重ねていくということです。

軽い恐怖の対象からステップアップしていくのが良いようです。


僕も不安神経症の症状が重かった時は、動悸や不安感、さらに胸の息苦しさがひどく、まともに歩けなかったりしたほどでした。

でもそんな中でも実践したのは、少しずつ行動範囲を広げていくということです。


「今日はスーパーまで行ってみるぞ!」→「よし、行けたから明日は駅まで歩いてみよう!」→「駅まで歩けた!明日は電車に10分乗ってみよう」といった具合です。


いきなり1時間電車に乗っていたら無理だったかもしれませんが、少しずつの積み重ねでした。


この「小さな成功体験」を重ねていくということは、不安に思っていることを自分で克服することによって自己肯定感が高まるということにも繋がります。

これを繰り返していくことによって回復にも繋がっていくのです。


そして、失敗しても(発作や症状が出ても)決して諦めないことが大切です。

もし起きてしまっても、もう少し小さなステップを重ねてから再チャレンジです。

これはドラクエRPGゲームに似ているかもしれません。

いきなりボスは倒せませんが、はじめはスライムからスタートですよね。

でもそれを重ねていくことでボスに到達することができるのです。


荒療治のようかもしれませんが、まずはとにかく小さな一歩で大丈夫です。

一歩踏み出したら、必ず何かが変わります。


心療内科やカウンセリング等で感じたこと

精神科、心療内科臨床心理士によるカウンセリングを受診して感じたことがあります。

それは…「医者は何もしてくれない」ということです。

初診の時は60分くらいしっかり時間を取って話をじっくり聞いてもらえましたが、2回目は10分くらいで終わりました。

そして特に痛感したのはカウンセリングを初めて受けた時です。

これまでのことを話し、それを聞いてはくれるものの、自分にしっくりくるアドバイスはなかったのです。

カウンセリングで会話をしていてもなぜか沈黙の長い間があり、「え、ちょっと待って?この長い間は何?何か言うことないの?と度々思いました。」

さらに森田療法が気になってそのクリニックを受診したのに、臨床心理士の方には今は必要ないと言われてしまいました。


また、同じ頃たまたまネットニュースで抜毛症で長年苦しんでいた人の記事を読みました。その方は精神科に入院した際、長く入院されている方達を見て、ここにいるから治るというものでもないし、先生が治してくれるわけでもないと感じたそうです。そして『舵を取るのは自分なんだな』と気づいたそうです。

自分が主体的に舵取りをしていかないと、おそらく10年後も今と同じ生活をしているだろうと感じ、「これまでとは違うことをしなければ」と行動を変え、そうしていくうちにどんどん回復していったそうです。その言葉に凄く共感したのを覚えています。

僕自身最初の発作から3年が経ち、一旦良くなったと思ったのに再発したので、もうこんな症状に苦しめられるのはやだ!絶対治したいという気持ちが強かったので、森田療法は必要ないと言われたものの、森田療法について本を読んだりしつつ、自助会に参加してみようと考えたのでした。そしてそれが回復への一歩となります…

なぜ薬を服用しなかったか

僕は不安神経症心療内科で診断された際、薬を服用して治療を進めていくことをきっぱり断りました。

それは以前母が統合失調症との見解で精神科に入院し、処方された薬による副作用の影響で日常生活に支障をきたし、身体障害者手帳を発行するまでになってしまったからです。


母の副作用による症状の一つはアカシジア(手足の震え)これは現在もなくなっておらず、これが手帳発行の要因になっています。

2つめは廃人になったように一日中座ったままぼーっとしたり、話しかけても気力のない弱々しい返事しか返ってこなくなったりしたことです。

統合失調症の症状は出なくなったものの、日に日に状態は悪くなり、まだ60代だったにもかかわらず手押し車を使わないと歩行できないまで症状が悪化していきました。

見かねた父が主治医に掛け合い、処方する薬の量を減らすよう要求しました。

そして薬を少し減らされたことにより、廃人のような感じが徐々に薄れていき、手押し車なしで歩けるようにもなりました。


この状況を間近で見ていた僕は、初めて薬による副作用の怖さを知ることになりました。


そして自分自身に不安神経症の症状が出た際、姉に相談するとうつヌケというマンガをもらいました。

その中で森田療法というワードが引っかかり、そういえばなんか聞いたことあるな?何だろう?と調べてみたところ、薬に頼らず治していくとのことで、しっくり来るものがあり、本を読むと余計に興味がわき、森田療法を受けることのできる心療内科を調べて良さそうな気がしたクリニックに行ってみることにしました。

そこでも初診では薬の提案もありましたが、とにかく副作用が怖かったので薬を断り、そのクリニックが併設している臨床心理士のカウンセリングに通うことにしたのです。